2024.11.02

環境

かつて大阪に心斎橋2丁目劇場という吉本興業が運営する若手芸人の劇場があり、ダウンタウンを中心に今田、東野、板尾、木村祐一、山田花子らが毎日生放送をし、イベントをしてた時代があったのです。

その数年後には、千原兄弟を中心にケンコバ、陣内智則、ナベアツ、ザコシショウらの世代が同様に盛り上げておりました。

彼らは今、当時の仲間と一緒に番組に出演するよりは、単体で「笑いのレベルが高い人」として全国区の番組に呼ばれる一流お笑いタレントになったわけです。

奇跡的に異常に笑いのレベルが高い人間が集まったのでしょうか。

そういう側面もあるのかもしれませんが、お笑いレベルが高い、密度の高いコミュニティの中に身を置くことにより、絶えず高いお笑いレベルが求められる。

その中で、1人や地元の仲間というコミュニティでは成し得なかったレベルまで熟成したのではないのかと思います。

スポーツ界でも「松坂世代」「ハンカチ世代」とたまたま同い年のスターが集まる年代があります。

これも「同い年の松坂ができるのなら」「同い年のマー君ができるのなら」と当たり前のレベルが上がることにより起こった現象なのではないでしょうか。

いろんなことに当てはまると思うのですが、お仕事にも当てはまると思うのです。

私はお仕事でいろんな生徒さんと接しながら、皆さんがどういう道に向いているかな?を考えています。

まずは人生観。

「仕事」の立ち位置は、人によって違います。

私の人生観を押し付ける気は全くありません。

そして、能力。

現時点の能力。

将来どれぐらいの能力まで上がるかなという可能性。

そこに忍耐力、モチベーション、セルフコントロール力等、障壁を乗り越えられるメンタリティの持ち主かどうかを加味して。

広告デザインもレベルに応じて、制作会社が存在します。

世の中を埋め尽くすような広告デザインに携わりたいなら、高い環境に身を置き、当たり前のレベルを上げなければいけません。

自分を形成するのは、持って生まれた先天的な資質、努力や訓練で得た後天的な資質。

でも、それらをさらなる高みまで引き上げてくれるのは「環境」なのではないでしょうか。

「限界」という名の、自分の中で低めに設定されているリミッターを少しずつ高めてくれるのが「環境」なのではないでしょうか。

「どこに身を置くか?」

「どこに身を置ける人間になるか?」

本当にいろんな人がいて、ひとりひとりが自分という殻の中でもがきながら生きているんだということをスクール運営を通じて学ばせていただきました。

みんながダウンタウン松本でもなければ、ダウンタウンファミリーでもない。

そして、決してそこを目指さなくてもいい。

ただ、自分の力を高めてくれるのも「その程度」に留めてしまうのも「環境」なのではって思います。

2024.10.23

コツコツやるしかない

「このレベルだとプロにはなれませんよ」

「え?これでプロになれないんですか?」

スクール探し中の方や、入学して間もない方との、最近増えたやり取りです。

「誰でも簡単にWEBデザイナーになれる!!」

と謳うWeb広告(それ自体のデザインも悲しくなるレベル)のせいか、インターネット上で見かけるホームページレベルのものをつくれたら、じゃんじゃこ稼げると思ってしまうのかもしれません。

絵がうまくても全然関係ないし。

高学歴でも全然関係ないし。

でも、高い知的レベルが求められ、高い美的感覚が求められるお仕事だと思います。

それぞれの方にどんな能力が備わってるかわからないので「あなたには無理です」と言ったことはないと思いますが、結構なイス取りゲームだと思ってます。

おたよりを書く。

会ったこともない人に、おたよりを書く。

たくさんの人に、同じおたよりを書く。

数回話ししただけの人に変わって、おたよりを書く。

文字だけだと伝わらないから視覚の変化を使って、おたよりを書く。

おたよりを書いて、人の行動や心情を誘導する。

そう考えることもできると思うんですが、上記の作業が簡単だと思える人にとっては簡単だと思います。

でも、私達は同じ文字サイズで、同じような形の文字で文を書くことに関しては学生時代を通じて訓練されているかもしれませんが、視覚の変化、絵の要素を使って文を書くことに関してはほぼ未経験のはずです。

なので、訓練が必要ですし、時間がかかります。

言葉や数値の差異を、色や形に置き換えるには新たな感覚の意識づけが必要になります。

「1日に2コマ受講できますか?」

「毎日受講できますか?」

等々聞かれることもありますが、それはただただ情報が目の前を通り過ぎていくだけで、感覚に落とし込む時間が足りないと思います。

スクールを12年やってきて、焦りながら受講して、その感覚を身に付けた方を見たことがありません。

時間も数も足りず、ただただ自分が疲弊するだけです。

「自分は向いてないんだ」

と挫折する。

よくあるパターンです。

グラフィックデザイナーに就職して2年目の卒業生の方に久々に連絡したら

「毎日大変です…」

とのことでした。

彼女は今、高い感覚レベルが求められる場所で必死に自分の感覚を高めようと頑張っているんだと思います。

制作業務以外が大変なのであれば、それは逃げるべき苦労だと思いますが、仕事で苦しむのは何よりの財産だと思います。

自分の努力で身に付く感覚と、自分の努力だけでは身に付かない環境由来の感覚があると思います。

後者を見に付けれる者は選ばれし者か、余程の運の持ち主だけです。

時間をかけてコツコツやるしかないんですよ、と。

その作業が難しいから、それをできた人に価値があるんだ、というお話でした。

2024.10.15

素人がつくった広告が多くを占める時代

デザインにおいて、プロと素人の能力の差は大きい。

私がスクール等を通じてお教えさせていただく方には、プロとして何年も経験を積んできた方はいらっしゃらないので、その差を少しでも埋めていくのが私だったりスクールの役割と思ってきました。

が、しかし。

いま、私が日常の中で見かける広告のうち、「プロ」がつくっているものは1〜2割。

残りの8〜9割は素人の方がつくったんだなと思っています。

当然、ここでいうプロとは「報酬と引き換えに業務をする」という意味ではなく、「専門的な技能を持った人」という意味で使ってます。

そこにあるいろんな背景を個人的に推測すると

・プロの制作費の高さ
・プロに発注する手間
・プロが作っても素人が作っても効果に差がない
・デザイン会社、制作会社に入ってイチからプロの技能を身に付けたくても採用へのハードルが高い
・企業側も雇用に対するリスクが高い(解雇できない、健康保険料の高さ、すぐに退職する、育つまでに時間がかかる)
・安価でも制作する素人が大量にいる

等でしょうか。

私達の「プロ」へのこだわりは、「現実社会」とは遠く離れた場所にある、単なる理想論なのかもしれません。

私は自分の目の前のいる教え子さんたちには、高い技能を武器に、人から必要とされる、選べる側の人になって欲しいと思っています。

その軸が変わることはないですが、社会の変化に自分や会社も合わせていかねばと思う今日この頃。

著者

著者

大阪本町制作所デザインスクール代表。講師。株式会社大阪本町制作所 代表取締役。初老のおっさん。