2025.05.06

四十九歳の地図

GW最終日、雨でやることもなさそうなので会社のブログ更新します。

来たるべき18日で齢49歳を迎える私。

「人生もう半分もないんや」

「今みたいに仕事したり遊んだりできるのは、あと何年やろう…」

と考える解像度も年々高くなり、今や高解像度1200ppiぐらいです。

ということで、誰も興味がない、嫁さんも親も生徒さんも興味がない49歳の私のお仕事観の話をしてみます。

仕事は誰かの力になること

起業するまでの会社員時代。

「仕事 = 生きるための犠牲」

完全にそうでした。

ただただ会社員である自分に限界を感じただけの起業でしたが、起業してからは考えることばかり。

・自分は1時間いくらもらっていいのか?
・自分は1日に何時間働かないといけないのか?
・自分はどれぐらいのペースで休みを取っていいのか?
・仕事って何なのか?

自分には人様みたいに1日8時間完全週休2日制を取る資格があるのか?を考え、自分の適価を考え、最終的にはそもそも仕事って何なんだろう?って哲学者みたいになり。

本、ネット、周りの人、いろいろと答えを探し続ける日々で、それは今もだと思います。

ただただ会社に言われたことだけやってたら評価されてそこに何も思わなかったダメ人間が起業してから見えてきた仕事像は

「仕事 = 誰かの力になること」

なんだろう、と。

自分の何か(知識、経験、時間、我慢等)を社会の満ちていないところに提供し、対価をもらう。

この仕組みの中で生きていく。

じゃ、何が「自分が売れるもの」で、何が「社会の満ちていないところ」なのかを考える。

それを探し、調べ、試す、の繰り返しがお仕事だったりします。

本当にただただ運と時勢がよかったん起業からの10年。

コロナ禍で私達の業界に大変革が起こり、時勢が一気に変わったこの数年。

だんだん、「今の自分が売れるもの」と「今の社会の満ちていないところ」が見えてきたのかなというぐらいの感じです。

頑張ろう、もうすぐ49歳な私。

アイデアは自分が見てきた景色

目の前でデザインが浮かばずに苦しむ方。

表現で苦しむ。
情報の整理で苦しむ。

・見てきたものの数が足りない
・見てきたものを目の前のものに置き換えることができない

のいずれかか、両方かどちらかなのかなと思いながら、どういう方法論があるのかを考えます。

・日々インターネットをしない人がWebサイトをデザインできないし、そもそも想像もできない。
・パソコンでインターネットをしない方がパソコン用のWebサイト作成で困る。
・プロの訓練を受けてない人がつくったバナーしか見たことがないから、プロのレベルがわからない

14年前にスクールを開講したときより顕著です。

パソコンの操作も不慣れ、データの概念も全く理解できていない、それが現代です。

年齢は関係ないです。
現代を生きる多くの人の共通項だと思います。

私たちは情報整理のプロであり、表現のプロであり、課題解決のプロでないとお金をもらえません。

プロということはそのへんの人より、そのジャンルに関しての能力が高くないと成り立ちません。

このあたりの自覚をどう促すかも私の重要課題です。

そして、本当の課題は上記のようなパソコン、インターネット、データやらという課題ではなく、表現であり、情報の整理にあると思うのです。

今回は表現の話に特化すると、

・誰かがつくったものを見る数が少ない
・誰かがつくったものを見る幅が狭い
・誰かがつくったものを見て考える数が少ない
・誰かがつくったものを見て考えて言葉にする数が少ない

インターネットの発達やそこから派生したであろう推し文化、他人との接点のなさがそれらをますます強くしていってると思います。

私たちは誰かがつくった言葉を使ってコミュニケーションを取り、ほとんど誰かがつくったものの中で生活しています。

誰も考えたことないことを完全にゼロから考えた人は神クラスでしょうし、もうその余地はないのではないでしょうか。

人生のエリートコースを早々と脱線したけど、どうにかこうにか生きている私としては、「好き」を単なる趣味じゃなくて、仕事に昇華できたら、すごい武器になるのにと思ったりします。

そして、世の中にはたくさん天才がいて、いろんないいものがあるから、「好き」の範囲を決めつけずに、貪欲に「好き」を広げて欲しいなって思います。

人がつくったものからはいろんな学びがありますし、天才がつくったものは私を含む凡才に新しい景色を見せてくれ、「考える」の機会をつくってくれます。

何かを「好き」になるのも一つの能力なのかもって思ったりもする49歳。

「好き」を肯定し、ただ盲目的にそれだけを追っかけるんじゃなく、新たな「好き」との出会いに貪欲でないといけない。

私自身がお仕事柄、自分にそうあれと意識していますし、ここは何かをつくれるようになりたいのなら、皆さんにもそうあって欲しいなって思います。

まとめた

そんな感じで毎回同じこと言っているのかもしれませんが、日々そんなことを考える私でした。

自分の人生も自分の能力も自分が歩んできた道でしかなく。

何かのせいにするのは簡単ですが、それが楽しいか、幸せかは人生観かもしれません。

2025.04.18

AI時代におけるデザイナーの存在意義

姉さん事件です。

社会では局所的に

「AIによる画像生成」

が話題です。

あらゆる画像をAIがジブリ風のイラストに改変していくとです。

簡単なデザインもできちゃったりします。

はて。

私の一番のお仕事は

「デザイナーを目指す方をデザイナーに導くこと」

です。

AIがデザインするようになると、デザイナーの需要がなくなるのでは。

これに関しては現時点で誰も正解はわからないわけなので、私なりの見解を。

現時点でAIレベル、AIレベル以下のデザイナーは淘汰される

これは時間の問題なのではないでしょうか。

ただただ、デザインソフトで文字と画像を並べているだけのデザイナーは不要でしょう。

「①調べる → ②考える → ③つくる → ④考える → ⑤調整する」

デザインの過程をこんな感じで定義してみました。

今のところは①〜⑤、全てデザイナーのお仕事、人間のお仕事でした。

AIの力でいかに自分を男前にできるかとかしか考えていない私レベルでも、すでに①②③ではAIの力を借りたりもしています。

AI時代のデザイン業務のルーティーン

今後は

「①AIに調べさせる → それを参考にしながら自分でも調べる → ②AIに考えさせる → それを参考にしながら自分でも考える → ③AIにつくらせる → ④AIがつくったものを自分で考える → ⑤AIに調整させる → 言葉でどうにもならないところは自分で調整する」

という過程になったりするんじゃないでしょうか。

人間のお仕事は

①AIが調べたものを参考にしながら自分でも調べる
②AIに考えたものを参考にしながら自分でも考える
③AIに指示を出してつくらせる
④AIがつくったものを自分で考える
⑤AIに調整させる指示を出す → 言葉でどうにもならないところは自分で調整する

になるのではないでしょうか。

①調べる
②考える
③つくる

①〜③の過程でかなりのショートカットになるでしょうし、自分では思いつかなかったようなものもできてくるかもしれません。

シンギュラリティ!!

なので、いままで重宝されてきた「つくる力」の価値がかなり下落し、「つくらせる力」に価値が出てくるのではないでしょうか。

・調べさせる
・考えさせる
・つくらせる
・調整させる

「指示待ち人間」は全く無力化し、「指示出し人間」としての能力が求められるでしょう。

「指示を出すのに必要な能力」は

①論理としてのデザインの整理、理解
②AIの性格、性質の理解

ではないでしょうか。

①に関しては、うちのスクールが目指すロジカルな能力がより求められるでしょう。

言葉で表すのは苦手だけど感覚でやるという人には苦しい時代ですね。

②に関しては、普段からいろんなAIに携わっていたり、インターネット、パソコンへの慣れの部分も大きいと思います。

そして、意外に人間臭く感じる「思いやり」「対人コミュニケーション」の力がより重要になるのではないでしょうか。

「対話型AI」なので、「対話力」は求められるでしょう。

飲みに行ってウダウダするおしゃべりするのがコスパが悪いと言われる時代。

職場の仲間とコミュニケーションを取りながら仕事を行っていくのが疎まれる時代。

そんな時代により人間臭い能力が求められるのかもしれません。

言葉でどうにもならないところがデザイナーの差に

そして、私達デザイナーが生きていく道であり、能力の差がつくところが

「言葉でどうにもならないところは自分で調整する」

力ではないでしょうか。

前記した通り、私のお仕事はデザインの教育を通じて、目の前の方をそれぞれのゴールに導くことです。

そこには言葉を駆使します。

あと、数値も駆使します。

でも、言葉や数値では伝えることのできない感覚もあります。

そこは「やって見せる」を繰り返す以外の方法を今のところ知りません。

どんな人でも身につけるのに時間がかかりますし、時間をかけても身についてないプロもたくさん見てきました。

デザイナーという職業だけじゃなく、いろんな職業もそうなのかもしれませんが、

・求められる能力が変わる
・より本質的な能力が求められる

のではないかと。

ということは、今回のブログのアイキャッチ画像はAIさんに作成していただきましたー。

今のところは負けてないはず…。

2025.03.26

どうでもいいことで差がつくというお話

デザイン力を身につけ、デザイナーとして食べていくのに必要な力は?

・デザインソフトの操作
・デザインの考え方
・デザインセンス

等が自分に欠如していると考え、うちのスクールやサロンにお越しいただくんだと思うのです。

ありがとうございます。

私は上記についてお教えしながらも

「必要なのはこれだけではないんよな…」

胸に引っかかりがあったりします。

皆さん

①「デザイナーとして必要なこと」を推測
②「デザイナーとして必要なこと」を学ぶ

を行うのですが、①の推測がうまくできてないことがほとんどだと思います。

デザインを広告デザインに限定すると

・誰かの人生の瞬間の切り取り
・社会の写し鏡

そういう側面が広告にはあると思っています。

ということは、たくさんの他者の人生に触れていないといけないし、広く社会を見ていないといけない。

「デザイン」という範囲じゃなくて、「人」という範囲、「社会」という範囲のことを見ていないといけないのです。

皆さん「デザイナーとして必要なこと」と「デザイナーとして必要ではないこと」を分けて考えていて、「デザイナーとして必要なこと」だけが自分に足りないから、そこだけを学ぼうとしているように映ります。

ですが、私が普段授業なりでスラスラスラとお話していることの多くは、皆さんが「デザイナーとして必要ではないこと」と考えている範囲から導き出したお話だったりします。

必要か、必要じゃないか。

デザインの話か、デザインと関係ない話か。

私はその判別がつくほど達観してませんし、賢くもありません。

ただ、一ついえるのは私の武器は小さい頃から親、家族、学校、大人、社会からムダ、余計なこと、どうでもいいことと言われ続けたことを他者よりやってきたことにより得た経験、知識がベースにあるような気がします。

教え子さんの皆さんは私のことを

「デザインに詳しいおっさん」

と思っているのかなとは思うのですが、実はそれは私の中のほんの一部だと思います。

その何倍、何万倍か知りませんが、どうでもいい知識とどうでもいい体験があります。

そして、それらの中から適当なものを自分の目の前の課題であるデザインに置き換えているんだと思います。

デザインという名の脳みその総合格闘技。

どこで戦うかは自分次第。

ただ、どうでもいいと思っていることが、実はあなたに足りない部分なのでは?というお話でした。

著者

著者

大阪本町制作所デザインスクール代表。講師。株式会社大阪本町制作所 代表取締役。初老のおっさん。