2024.11.24

続・我が子教育論

おかげさまで1,000名ぐらいの方に「先生」として、あーだこーだとお話させていただいてきた私。

何者でもない私が偉そうに何をというお話ですが、それはさておき。

そんな私が一番遠慮せずに全力で教育していい人間が我が息子くん(もうすぐ9歳/小学3年生)です。

教育しなければいけない人間でもあるんですが。

お金をいただいて教育させていただく時は、自分の中で熱量や求めるものの調整をしています。

そういうのをしなくてもいいのが息子くんなわけです。

ということで、昨年も彼への教育について自分なりに考えていることを書いたのですが、さっき参観日に行った勢いで書いてみます。

周りを幸せにする人になれ

何歳か覚えてませんが、彼とある程度会話できるようになったぐらいから

「周りを幸せにする人になりなさい」

と話をしています。

私自身が

「他人に迷惑をかけなければいい」

という考えがずっと嫌いなので、

「周りの人を楽しませなさい」
「困っている人がいたら声をかけなさい」

的なことをちょいちょい伝えています。

坂元家の末裔として生まれたからには坂元家の社会的役割は果たしてもらわないとなりません(私が勝手に自分にそう思い込ませています)。

そんなことを伝えながら「ま、父親の戯言なんて聞いてないわな…」と思ってますが、今日小学校で彼の作文を見ましたが

「僕は一言で言うと周りを明るく楽しませる人です」

って書いてて、彼なりに父親の戯言に向かって人格を形成していってるんだなと思いました。

遊ぶことがお勉強

以前も書きましたが、私自身の子育ての一番のサンプルケースは自分なので、自分の過去の整理をします。

毎日ヒマだった我が少年期。

「ヒマをどうやって『楽しい』に置き換えるか?」

が日々の課題です。

・友だちを誘う
・公園に行ってみる
・壁当てをする
・テレビを見る
・ブロックで何かつくる
・紙と鉛筆でオリジナルゲームをつくる
・妄想で野球の実況をし、録音して聞く
・漫画を描く
・オヤジのパチンコについて行って隣の本屋で立ち読みする
・公園で鳩を捕まえようと頑張ってみる

適当に思いついたことを羅列したんですが、どの経験も決してムダな経験ではなく、何かの学びや今の自分のルーツになったような気がします。

こういう経験が自分の個性であったり、強みになっているような気もします。

48歳の今、私にはそんな時間がありません。

そんなエネルギーもありません。

そもそも、やる意味もわかりません。

小学3年生の今しかできないことを今のうちにたくさんやっといた方がいいという仮説を立てています。

ということで、彼の方から

「遊ぶことがお勉強なんやろ???」

と私に聞いてきます。

都合のいいことは、きちんと覚えてくれます。

マンガを読むのもお勉強

「マンガを読むのもお勉強やろ???」

都合のいいことへの意識は相当高いです。

最近では、私に薦められてU-NEXTで見た野球漫画の名作『キャプテン』全巻を中古でお小遣いで買ってました。

こういうところの思い切りも父親似か、もしくはそれを凌駕するものを感じさせます。

我が小学生時代、お小遣いの多くをマンガに使ってしまう私を母親が度々怒っていました。

参考書代はいつでも払ってくれるんですが、マンガに関しては厳しいです。

「マンガ=悪」

のイメージが強いんでしょう。

しかし、私はマンガを通じて得た知識が結構たくさんあります。

自分が知らない世界をたくさん見せてくれます。

友人とのコミュニケーションを盛んにしてくれたりもしました。

「アホなこと」をみんなの前でやれることで居場所ができたりするんですが、そういう部分でも学びや情報収集の場所になりました。

そして、後に「文字だけの本」をアホほど読む予行演習になってたと思います。

たくさんの学びがあるのに楽しいって、こんなに効率的なことはないって思ってます。

陽気でアホな父親

「人格はコンプレックスが形成するのでは?」

と思ってたりしますが、私にとって「家族」という場所は

「いかに怒られないか?」

を絶えず意識する場所でした。

父親、母親、姉。

いかに地雷を踏まないか。

怒りセンサー的な感性は鋭くなったんだと思うのですが、そんなことで鋭くなっても嬉しくもなんともありません。

そんな私が見つけた自分の役割が

「いかに周りを楽しませるか?」

だったような気がしますが。

そんな自分の少年時代を経て、自分がいっちょ前に主であるシン・坂元家。

そこは自分の理想に近づけたい。

そもそも私は偉い人間でもなんでもなく、家族しかり、学生時代の部活しかり、アホほど怒られた記憶しかありません。

「仕事して家族を養っているから偉い」

という考え方も世の中にはあるのかもですが、私も両親に養ってもらったわけで当たり前のこと。

坂元家代表として働いているだけです。

あと、威張れるほど稼いでない!!(涙)

日常的な接点が多い、息子くんと奥さんはバトルすることが多いですが、私は家にいる時間はお仕事柄そんなに長くはありません。

私が家族に求めるのは緊張感ではなく、リラクゼーションの場所。

私がアホになって奥さんも息子くんも機嫌よく楽しめるのが一番バランスがよいのでは、と。

ま、そんな計算をしているわけでもなく、基本日々歌いながらフザけている私。

これは家族だけではなく、どんな人間関係でも明るく楽しくいたいって思ってます。

自分の日々のゴールだから、自分の息子くんにもそう伝えているんでしょう。

息子くんも母ちゃんに怒られた後、ケロッとして大声で歌ってるんで、いいか悪いかは別にして、無意識下で父親がサンプルになっているのかもしれません。

否定はしない。肯定する。

「学校の成績=人間の能力」であり、一生それが継続されると思ってるのでは?な息子くん。

「パパそっくり」と称される息子くんですが、通知表も今のところそっくり。

3段階評価の真ん中ばっかで1、2教科「よくできた」がある感じで。

「今、たくさん遊んでマンガとかいっぱい読んでたら、急に賢くなるねん」

「学校のテストは一生懸命にやればいい」

と伝えています。

前者に関しては完全に無責任かつ根拠がない発言です。

「やると言ってた宿題をやらない」

とかは

「約束を破った」

というところを咎めますが、冷静に理路整然と伝えようとする私のメッセージが彼に届いている気はしません…。

運動会も今年初めてビリ脱出。

でも、ビリでもビリから2番目でも

「よく頑張った!!」

と拍手を送るパパでした。

嘘をつく、挨拶をしない、自分でできる自分のことを自分でしない等々、人が生きていく上でやらねばならないこと以外は基本肯定しかしてないはずです。

私は親から褒められたことがないのですが、そういうのと関係あるんですかね。

そんな家で育ちながら、今こうして日々楽しく生きてるんで、親のやり方を否定することもないんですが、人をある種のマネージメントする上で賢い方法とは思ってません。

ずっとチームスポーツに属してきて

「いかにプラスになる声掛けができるか?」

は考えてきたんだと思いますが、そのあたりが私のお父ちゃんのベースなのか。

子育て分析は自己分析でもありますね。

最後に

と、何者でもない私が偉そうに自分の教育論のお話をさせていただいたわけですが、

「あなたの教育法は完全に間違っています」

な可能性もあるわけです。

言うてる間に高校生ぐらいになった息子くんにシバかれまくっているかもしれません。

目の前の人を笑顔にできる人になってね、というパパの思いは届くのか、乞うご期待。

2024.11.11

デザイナーへの難易度

逆上がり、跳び箱、後ろ向き駐車…。

人が当たり前にできることなのに、できないことが多々ある私ですが、よくわかんないですが中学・高校とお勉強だけはやってない割にはできたのです。

上位2〜3%ぐらいのレベルらしいです。

学校の勉強以外のことは無能でしたが、学校の勉強だけは理解するコツみたいなものを持ってたみたいです。

そんな私が思うデザイナーへの難易度ですが、就職に有利とされる有名私大や国公立大学に入学するより、はるかに難しいと思っています。

デザイナーの赤本が存在しない。

赤本をつくるとこからが、デザイナーへのスタートなのではないでしょうか。

赤本から自分で考えないといけないって受験よりはるかに難易度高い。

ひー。

「あなたはデザイナーになれません」

という言い方をすることはありません。

その人の能力と可能性を把握しきれないからです。

頭の中で予測はしていますが、勘レベルの何かでしかない無責任な言葉にしかなりません。

それがよくないことなのかもしれませんが

「低めのハードル設定をしているのだろうな」

と思うことは多いです。

一般人が日常的に必要とする感覚のレベルを、プロのデザイナーとしての感覚のレベルまで上げないといけません。

運動経験が中学の部活レベルの人が、社会人になって急にたるんだカラダからムキムキマッチョになる作業とイメージしてもらえればいいのかもしれません。

(筋肉はトレーニング法も確立されていて、いかにストイックにトレーニングと日々の生活を送れるかだと思いますが、トレーニング法が確立されていないデザイナーになるのは、また違った難しさのような気もしますがとりあえず…)

「今の自分」ででもできる仕事を見つけ、「今の自分」でも居心地の良い人間関係を見つける。

「今の自分」のままで生きている人がほとんどだと思いますし、それが社会なんだと思います。

「脳みそムキムキマッチョにはならなくてもデザイナーになる方法」

が求められる時代。

「ガリガリ、ポヨポヨデザイナーがつくったガリガリ、ポヨポヨデザインを安く依頼し、その分を広告費にたくさん回す」

という時代の背景もあるのかもしれません。

ただただ時流に乗っただけにしか見えない、ガリガリ、ポヨポヨデザイナーがいつまで食べていけるのか。

今でも食べていけているのか。

そこに責任は持てないので、私はムキムキマッチョになるための道筋を示します。

1の労力でムキムキマッチョになれる人もいれば、200の労力やテスト&エラーを経てムキムキマッチョになる人もいると思います。

先生のお仕事は

「この人は、○○するのが苦手なんだ…」

と思わされることが多いです。

私が全く逆上がりができないように、人ができる当たり前のことができない人は意外に多いです。

そんな感じで「たぶん、誰にとっても簡単な作業ではない」ということが伝われば、と。

来週土曜日11/23夜、Webデザイナーの先輩のお話を聞く会を開催します。

就職までにどんな過程があったか。

Webデザイナーになったらどんな環境になるのか。

あくまで他人の経験ですが、誰かの経験でも、自分と近い状況からスタートした人の景色がぼんやりでも見えると、イメージもよりしやすくなると思います。

目の前の人が幸せになることで、自分の仕事の価値が高まっていくと思っているので、またいろいろやっていきまーす〜

2024.11.02

環境

かつて大阪に心斎橋2丁目劇場という吉本興業が運営する若手芸人の劇場があり、ダウンタウンを中心に今田、東野、板尾、木村祐一、山田花子らが毎日生放送をし、イベントをしてた時代があったのです。

その数年後には、千原兄弟を中心にケンコバ、陣内智則、ナベアツ、ザコシショウらの世代が同様に盛り上げておりました。

彼らは今、当時の仲間と一緒に番組に出演するよりは、単体で「笑いのレベルが高い人」として全国区の番組に呼ばれる一流お笑いタレントになったわけです。

奇跡的に異常に笑いのレベルが高い人間が集まったのでしょうか。

そういう側面もあるのかもしれませんが、お笑いレベルが高い、密度の高いコミュニティの中に身を置くことにより、絶えず高いお笑いレベルが求められる。

その中で、1人や地元の仲間というコミュニティでは成し得なかったレベルまで熟成したのではないのかと思います。

スポーツ界でも「松坂世代」「ハンカチ世代」とたまたま同い年のスターが集まる年代があります。

これも「同い年の松坂ができるのなら」「同い年のマー君ができるのなら」と当たり前のレベルが上がることにより起こった現象なのではないでしょうか。

いろんなことに当てはまると思うのですが、お仕事にも当てはまると思うのです。

私はお仕事でいろんな生徒さんと接しながら、皆さんがどういう道に向いているかな?を考えています。

まずは人生観。

「仕事」の立ち位置は、人によって違います。

私の人生観を押し付ける気は全くありません。

そして、能力。

現時点の能力。

将来どれぐらいの能力まで上がるかなという可能性。

そこに忍耐力、モチベーション、セルフコントロール力等、障壁を乗り越えられるメンタリティの持ち主かどうかを加味して。

広告デザインもレベルに応じて、制作会社が存在します。

世の中を埋め尽くすような広告デザインに携わりたいなら、高い環境に身を置き、当たり前のレベルを上げなければいけません。

自分を形成するのは、持って生まれた先天的な資質、努力や訓練で得た後天的な資質。

でも、それらをさらなる高みまで引き上げてくれるのは「環境」なのではないでしょうか。

「限界」という名の、自分の中で低めに設定されているリミッターを少しずつ高めてくれるのが「環境」なのではないでしょうか。

「どこに身を置くか?」

「どこに身を置ける人間になるか?」

本当にいろんな人がいて、ひとりひとりが自分という殻の中でもがきながら生きているんだということをスクール運営を通じて学ばせていただきました。

みんながダウンタウン松本でもなければ、ダウンタウンファミリーでもない。

そして、決してそこを目指さなくてもいい。

ただ、自分の力を高めてくれるのも「その程度」に留めてしまうのも「環境」なのではって思います。

著者

著者

大阪本町制作所デザインスクール代表。講師。株式会社大阪本町制作所 代表取締役。初老のおっさん。