2024.01.30

イップス

皆様「イップス」をご存知でしょうか?

「イップス」とは、スポーツ選手が経験する心理的な障害の一種で、特にゴルフや野球などの精密な動作を要求されるスポーツで見られます。この状態にある選手は、突然、習得していた技術を正常に実行できなくなることが特徴です。イップスは、過度の緊張、不安、自信喪失などによって引き起こされることが多く、単に技術的な問題ではなく、心理的な要因が大きく関わっているとされています。

例えば、ゴルフではパットの際に手が震える、野球ではキャッチャーが簡単な送球を失敗するなど、普段は容易にこなせる動作が困難になります。イップスは一般的には心理的なアプローチでの治療が必要とされ、スポーツ心理学者や専門のコーチによるサポートが効果的です。

以上、私の仕事の強いパートナーChatGPTさんがまとめてくれました。

基本的にスポーツ用語として浸透している言葉ですが、社会の中で多くの人がそれぞれの「イップス」を抱えているのでは?って考えています。

普段何気にできることが、ある状況下ではできなくなる現象。

私のお仕事のメインは「経験ゼロからプロのデザイナーへの就職に導く」ことなんですが、そのために必要なことをお伝えして、できるように導く力が当然求められます。

ただ「デザインの経験がある」「わかりやすく説明する」とかだけでするお仕事ではないと考えています。

今できなくても、やってたらできるようになること。
試行錯誤していく中でできるようになること。

その類のものを「できない」と思わせないようにするのも、私の中で重要なウェートを占めるお仕事です。

「できないはずだ」という先入観は私の中で結構な敵です。
邪魔です。

それが大きくなってしまうと何をどう伝えてもどうしようもなくなります。

脳科学者の方が言ってましたが

「脳は現実と幻想の区別がつかない」

とのこと。

私達はイメージした通りに行動してしまうとのことです。

「できない」と思うと、できないように脳も身体も動いてしまうと。

デザインだけじゃなくて、生きていく中でいろんな他者の「できない」に出会ってきました。

私自身にも「できない」があります。

スポーツ選手のイップスも然りですが、一度持ってしまった負のイメージを払拭するのはとても困難なことらしいです。

「できない」になってしまった時点で後戻りすることは困難なので、「できない」と思わないように自分を強く持つしかないのと、周りの声掛けの重要性を感じます。

2024.01.22

トレーニング

このサイトは「デザインスクール」のサイトなのですが、「スクール」という定義が曖昧なのかなと思いまして。

うちのスクールやオンラインサロンは「学ぶ」場所になります。

時に「学ぶ」という言葉の曖昧さを感じたりします。

授業を受ける。
話を聞く。

それが「学ぶ」なのか。

授業を受け、話を聞き、実際にそれらを再現できるようになる。

それが「学ぶ」なのか。

私の中での「学ぶ」は間違いなく後者なのですが、社会の中のどれぐらいの割合の方が「学ぶ」をそういったことと定義しているんだろう、と。

私の頭の中はスポーツやってた脳なんだと思います。

スポーツだとそれらの作業をトレーニングっていいます。

たまに本や映像を見て知識を学ぶこともありますが、それらの時間はトレーニング時間の1%にもならないと思います。

トレーニングの方向を示してくれたり、提案してくれたり、正してくれるものであって、本を読んだからパフォーマンスが上がるという即効性のあるものはほぼないのでは?と思います。

なぜか職能のための学びは「実際にやってみる」という過程を省きがちなような気がします。

「頑張っている気になる」
「できるようになった気になる」

一番怖い状態だと思います。

「できない」という状態が改善されてないのであれば、1ミリも前進していないのが実情です。

「私はやっている」と錯覚してしまう分、日常の中での身の回りへの情報への感性が鈍くなり、逆に学習量が減ってしまうのでは?とすら思います。

「学んでいる」は他人に誇るものでもないし、自慢するものでもない。
「私はこれだけ学んでいます」と保険に使うものでもないし、その行為自体がお金になるものでもありません。

「学んで何かを身に付けた」を他人に誇り、自慢するのならまだわかります。(そんなもん自分の中で収めとけよと思いますけど、人それぞれ)

「学び」を「トレーニング」と置き換えれば、定期的にトレーニングを実行できる人の割合はかなり低いと思います。

基本的にペースを決めて、繰り返し行うのが一般的なトレーニングです。

気まぐれでやったりやらなかったり、そんなトレーニングを聞いたことがないです。

社会人向けの学びの場を提供するのが私のお仕事ですが、トレーニグとしての学びを計画的に遂行している人は本当に珍しいです。

「そこまでスクール主導でやらないといけないのかな?」

とも思いますが、一つはそれは多くの皆様にとってストレスになるでしょうし、人から言われないとできないのなら、お仕事としてのデザイナーには向いてないです。

何かができるようになると自分の景色もガラッと変わりますし、周りからの自分の評価もガラッと変わるものだと思います。

その積み重ねが成長であり、自分をどんどん次のステップに導いてくれて、日常をより刺激的で楽しいものにしてくれるものだと思っています。

私から見える景色は「もったいないな…」です。

そういう中で生きていき、「できない」が「できる」に変わることもあんまりなく、「もともとできる」の積み重ねで生きていく人生。

多くの方の人生が本来そういうものであり、ヒトというものはそういう風にできているのかもしれません。

そして、それは肯定されるべきことでしょう。

「成長絶対主義」の中で苦しんでいる人がたくさんいるのも事実でしょう。

という、私から見える景色なお話でした。

なんだかなー。

2024.01.09

寝正月

お正月休みに入るや否や発熱 → 10日間寝込んでました。

ちょっとだけお正月休みを長めにいただくことになり、ご迷惑をおかけしました。

47年生きてきて、こんなに寝込んだり、熱が続いたりしたのは初だと思うので、そこで思ったことを書いてみます。

正月休み、病院一斉におやすみ

当たり前といえば当たり前ですが、一般診療がやってなく救急診療のみ。

熱が上がり続けるので、計2回救急診療を受診しましたが簡易な診察しかできない、と。

40度近い熱を押してフラフラしながら病院に向かう私。

病院で嫌がられる私。

違う病院に電話しても嫌がられる私。

医療は民間事業なのか、半公共事業なのかと考えされました。

大量に税金が投入されてるんだから、100%民間事業と同じスタンスなのはどうにかならんものかなとは思いました。

私ぐらいのフラフラぐらいは病院にすると日常的に発生する事象で「死ぬことはないから大丈夫」なレベルなのかもしれません。

そこで死んでたら、私が運が悪かったということでどこかから咎められることもなく、終わってた話なのかもしれません。

「そこまでビジネスライクに割り切ってるんだ」

どこかで線を引かないと終わりがないビジネスなのかもしれません。

自分の仕事観、仕事のやり方ももう少しビジネスライクにした方がいいのかなと考えさせられました。

「いつ」がわからないと不安になる

インフルにかかってたみたいなんですが、最初の検査で陰性判定されてしまい、薬で治療するタイミングを逃してしまい、苦しんでた私。

いつ熱が下がるんだろう。

いつ体調がよくなるんだろう。

いつから仕事を再開できるんだろう。

いつか体調はよくなるんだろうか。

「いつ」がわからないことは、本当に苦しかったです。

いつまで我慢したらいいのかわからない。

うちの生徒の皆様もデザイナーや自己研鑽のための学びの道中

「いつ “できる” になるんだろう?」

と「いつ」がわからない日々は、私が想像するより苦しいのかもしれないな、と頭をよぎりました。

お医者さん側も何もわからない状況で何も言いようがないのもよくわかります。

「いつ就職できますか?」と私が聞かれるのと同じで、答えようがないのかもです。

当たり前の日常が送れる喜び

仕事をする。
家族と楽しく過ごす。
お酒を飲みながら、うまいものを食べる。

当たり前の無限ループにどこかで疲弊してた気もしますが、当たり前のことを何一つできない苦しみ。

スマホを触る気力もなく。

「日常」のありがたみを感じさせられた10日間でした。

まとめる

という感じで、人間、カラダが弱っていると前向きな発想など全く出てくることもなく、ただただ苦しいだけなんだな、と。

どんな能力、技術、熱意も考えて動けない状態ではゼロと変わらない。

自分自身ではメンタルコントロールをしていたつもりですが、結局は酒や食に逃げてたんでしょう。

とりあえず、自分の器の小ささと脆さを認識しながら、平々凡々と生きていきます。

著者

著者

大阪本町制作所デザインスクール代表。講師。株式会社大阪本町制作所 代表取締役。初老のおっさん。