2025.03.01

今年は創業記念日がない

2月29日が創業日の弊事務所。

今日3/1から14年目となります。

いやー、奇跡。

運がいい。

いろんな「たまたま」が相重なったな、と。

あんまりお墓参り行ってないけど、ご先祖様ありがとう。

そんな今の私の課題は「運頼みからの脱却」です。

我ながら

「デザインについて、一般の方にお伝えする」

という力は、13年間の経験、遺伝子、幼少期からの環境や経験等のおかげでアドバンテージがあるんだと思います。

でも、今はみんな広告やSNSを使って嘘か真かわからないことを大声で叫んでます。

典型的な草食系男子の私の声は全く社会に届かないのが現状です。

でも、アホみたいな大声大会に参加させるためにうちの母ちゃんはお腹を痛めて私を産んだわけでもないでしょう。

声の大きさとカラダの柔らかさだけは誰にも負けない私ですが、私はそんなことをするためにこの世に生を受けたわけではないのです。

ということで

「私だからできることがあるだろう」

と、現在自分の中で準備しているものがあります。

「そんなん、当たり前やん。おーん。」

と岡田監督ばりにデザイナーとして当たり前だと思ってた物事の考え方や仕組みづくりは、社会にとって当たり前ではないらしく。

自分と社会をどう結びつけるか。

大声大会じゃない場所で、自分がどれだけできるか確かめてみたい。

おかげさまでムダに元気なのですが、この体力と知力で戦えるのはせいぜいあと10年ぐらいでしょう。

その間にその後の人生を楽しんで生きていくための礎をつくらねば。

そんな感じで、自分の人よりちょっとだけアドバンテージがある部分で社会の皆様のお役に立てるように14年目も、もがいていきます。

2025.02.15

こっちの剛

画像は今回の話に全く関係がない先日息子くんのリクエストで行った南海ホークスミュージアム。

何でも好奇心を持つのはいいことですが、小学3年生の好奇心の矛先なのかとは思いますが…。

さて。

最近、noteにてデザインの話を定期的にするようにしてます。(こちら

13年前に全くアテもなく、ブラック企業から逃げるように起業した時に同時に開校したデザインスクール。

1年も立たないうちに事務所のメイン事業が「デザインスクール業」になってしまいました。

当時は場所がないとスクールはできない時代だったので、選択肢もあまりなく。

今はオンラインで学べるスクールが一気に増えました。

100倍?1000倍?

ググっても出てこないだけで、SNSだけで集客してるスクールやスクールみたいなもの?もたくさんあることを最近知りました。(プライベートでInstagramとかTikTokとか全くやらない人)

大手のスクールも負けじと甘い言葉の広告をガンガン出しています。

皆さん大人でしょうから、自分の選択でどういう結果になっても自己責任ということで他人事なのですが、note見てても思ったのが

「このレベルで教えてるんや…」

ヤバい。

比較されることすら心外。

「デザイナーを目指す方々はどうなりたいんだろう…」

「そもそもこのスクールの広告デザインを見てダサいと思わないんだろうか…」

と思ったりはしますが、逆に

「このレベルであっさり稼げるんだったら自分でもプロになれる」

って思っちゃったりするのかもです。

デザイナー、Webデザイナーになりたいのか。

デザイナー、Webデザイナーになって周りから評価され気持ちよく生きていきたいのか。

私自身が後者の考えなので、そっちに導きたいって考えています。

簡単じゃないです。

自分が感覚的にやってたレイアウト、形、色等の調整を、お教えするとき、添削する時は全て言葉や数値で伝えないといけません。

「日本に何人デザインを教えれる人がいるんだろう?」

誰かヒマで金を持て余す人、伊能忠敬ばりに日本中を周って調べてください。

そんな感じで

「デザイナー、Webデザイナーになれなかった人」

を大量に発生させ続けるスクールに負けじと、どんなことをやっているか、どういう考えでやっているかはしばらく実験的にnoteを通じてお伝えしていこうと思います。

「何言ってんやろ?おもんな。デザインに関係ないやん。」

と思われるかもしれませんが(ペルソナ設定が関西人なのは気にせずに)、こういうことを考えていないデザインはデザインではなく「デザインごっこでしかないんですよ」と気づく人もいるはず。

将来のデザイン業界を担っていく方々に届けば。

2025.01.13

阪神大震災と私。

現在48歳な私。

あっという間の48年でしたが、口だけのガキの私をガツンとぶん殴る出来事が人生の中にいくつかあり。

そういうものが人生観やモノの考え方に大きく影響を与えてきたと思います。

そのうちの一つが阪神大震災。

私の「当たり前」を大幅に上書き更新した出来事です。

高校3年生の私、大学受験直前。

大阪に住む私は、これまでに全く体験したことがないレベルの激しい揺れで目覚めましたが、私の家も家の外も特に何もなく。

「大阪でこんな地震がくるとは〜」

はかなりの衝撃でしたが、生活にどうこう影響を与えるほどではなかったです。

そして、通学のために駅に行ったけど電車が何時間待っても動かないから、諦めて帰宅。

帰宅後、テレビに映る神戸やその周辺の町の惨状が人生で初めてみる映像ばかりでした。

崩落するビル、家。

高速道路が雪崩落ちてたり、途中で切れてたり。

どんどん火の手が広がっていく町。

どんな映画でもニュースでもそんなシーンを見たことがなく。

18歳にはとてつもない衝撃で、それから2週間ほどずっと朝から晩までテレビのニュースに出てくる神戸の町を見てました。

受験本番直前の一番大切な時期だったはずですが

「そんなことより、これは絶対に目に焼き付けておかないといけない」

と思いながら。

この世に絶対はない。

当たり前と思っているものは当たり前ではない。

映像を通して諸行無常をマジマジと叩き込まれたわけです。

本当に地震も台風も洪水も大雪も何もない(それまでなかった)大阪という町で育ったの私は

「たまたま、なかっただけ」

ということを知りました。

これで神戸の町は終わった。

復興するのに何十年かかるんだろう。

神戸の町に憧れ、神戸の大学を第一志望にしていた私、高校の先生の薦めもあって急遽大阪の大学に進路変更。

大阪から神戸までの全ての電車が全線復旧していない状況で神戸の大学に入学するという考えが全くなく。

が、しかし。

春ぐらいには電車も復旧し、学校も普通に通学できる状況になったのではないでしょうか。

復旧の早さにも

「あの惨状から、こんなに早く生活できるぐらいには戻るんだ」

と驚かされました。

それが科学の力なのか、人の力なのか、お金の力なのか。

いずれにしても自分の知らなかったことばかり。

全く何の被害を受けなかった私ですら、人生観が大きく上書き更新された阪神大震災。

小さな選択と決断を繰り返す日々ですが、どこかで影響を受けているような気がします。

著者

著者

大阪本町制作所デザインスクール代表。講師。株式会社大阪本町制作所 代表取締役。初老のおっさん。