2025.01.01

センス以前に必要な「質問力」

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

弊社、2月29日で創業13年になります。
しかし、今年はうるう年ではないため、2月28日で創業13年になるのか翌3月1日で創業13年になるのかわかりません。

「末締めだろ」

どっかからそんな声が聞こえてきましたが、どっちにしても13年になるわけです。

弊社の歴史がほぼほぼイコール、スクールの歴史なのですが、こう見えて私は

「どうすれば目の前の人が幸せになれるのか?」

をずっと考えています。

今年で49歳な私。

「仕事ができる人」「仕事ができない人」に社会は分かれることがだんだんわかってきました。

「センス」という言葉がどんな業界よりも重要視されるのが皆さんが目指すデザイン業界。

美的センス。
人間心理を読むセンス。
情報を整理する、編集するセンス。

いろんな「センス」が求められるんでしょうが、そこよりも必要な力があるってことを思うようになりました。

それは

「質問力」

です。

ほとんどの人は「質問しない」んです。

ネット検索で何とかしようとするんです。

ネットで見た素人の知識ややり方を見せられることも多々あります。

ネットで情報収集するのには絶対条件があります。

自分自身がその情報の信憑性を判断できるだけの予備知識が必要です。

じゃ、なぜ「先生に質問する」ではなく「ググって済ませるか?」です。

質問することにより、自分の学習不足がバレる

授業で1度聞いたこと、やったことを再度聞くのは自分の復習不足や理解度のなさを露呈してしまうと考えてしまう。

新たなことをお教えする時は、それを理解してもらい、感覚に落とし込んでもらう。

それは簡単な作業ではないので、1000通りの伝え方で伝わらなければ1001個めの伝え方を考える。

1000回やってもできていなければ、1000回同じことをフィードバックする。

そういう覚悟を伴うのが私のお仕事。

皆さん、聞いたことを一回で理解し、自分の感覚に落とし込むことはできないでしょう。

それができたら天才です。

何万人のうちの1人が天才さんなのか知りませんが、そんな人がデザイン業界に何人いるのかもわからないです。

もっと早いこと才能がストレートに評価されるジャンルで若くから活躍しているのではないでしょうか。

教える側としては、皆さんがどれぐらいの理解度で、どれぐらいの感覚レベルかは把握しています。

かっこつけたところで自分が制作するものは正直者です。

何度でも聞けばいいし、その度に必死に考えればいいだけです。

質問することにより、責任が生じる

質問する → 他人の時間を割いてしまう → 質問した分頑張らないといけない → 頑張る自信がない → 質問しない

というような図式で責任が生じてしまうことを嫌っているのではないか。

責任を避けるのが現代社会。

「プロのデザイナーになる」

というモチベーションの維持はめちゃくちゃ難しいんだと思います。

「デザイナーになりたい」

と思ってからの初動から

「いよいよデザイナーになるために就職活動するぞ」

までの時間が長く、工程も多いのです。

おそらく「デザイナーになりたい」の段階の多くの方が思ってるよりも、自分が成長するのには時間もかかるし、越えなければいけない壁が何度も何度も現れます。

私のお仕事は「たくさんのデザイナーになる人」と並行して「たくさんのデザイナーになりたいって言ってたけど途中で挫折した人」を見ることです。

「質問に答えたから頑張ってね」

とか思わないです。

勇気を出して質問したことは、その人にとっての大きな前進だと思うだけです。

質問をまとめるのが難しい

自分が「何がわからない」かを考え、整理し、編集し、伝える。

単純にこの作業への自信のなさもあるかもしれません。

地味に私は授業を行いながら、その人の能力を把握しようとしています。

情報編集力もある程度把握していると思います。

「何書いてるだろう?」

という質問でも、わかるところとわからないところに分解して、聞き直し、コミュニケーションを繰り返すうちに何を書いているのかわかっていきます。

一発でスムーズに伝えようとするから、難しいんじゃないでしょうか。

質問することで他人から嫌われる

「質問しない」人の多くは他人との接点が少ないのかなって思ってます。

携帯ができて、スマホができて、ネットという新しいコミュニケーションツールやコミュニティの場ができて、以前より自分の外側の人とコミュニケーションを取る機会が少なくなってるんだと思います。

今でも町中を歩いているとおばあさんに道を聞かれたりします。

そのおばあさんがどういう言葉でどう伝えたら一番わかりやすいかを必死に考えて、お伝えします。

「あの大きな建物の前の信号」の方がわかりやすいか、「橋を超えたスグの信号」の方がわかりやすいか。

おばあさんの中では「道がわからないから、知らない人に質問する」のが普通なんでしょうですけど、今はGoogleマップを使えば楽チンなので誰かに道を聞くことも聞かれることも少なくなりました。

スマホやネットがなくてもお互いが足りないところを補い合って生きなきゃいけなかった時代。

日常に「質問する」がない現代、どういう内容であれ自分の外側の人に「質問する」は相手に嫌われるかもしれない行為になっているのかもしれません。

単なる会話ですし、それも含めて私はお金をいただいているので「頑張ってるんだな」っていいように思うことはあっても、嫌うとかはないんですけどね。

自分をつくるのは自分

自分がただただ生きているだけで得られる体験は、世界のあらゆる事象のごくごく限定されたミクロの世界でしかありません。

他人の体験を聞き、それが知識になる。

そうやって記憶の量を増やす。

記憶の量が何かを考える際の材料になります。

何かを考えようにも考える際の材料が何もなければ、考えることはできません。

「質問する」ことは特別なことではなく、人間社会において当たり前のことであったはず。

学びの途中の人は、不特定多数の人の心を動かすには、まだまだ知識も経験も感覚も足りないんです。

質問する。
咀嚼して、自分で考える。

その繰り返しが脳をどんどん成長させ、能力をどんどん上げてくれるのではないでしょうか。

自分の力だけ、ネット検索だけでは、デザイン業界に入り働いていく能力にたどり着くのはかなり大変だと思っています。

そういうことも言わないといけないのかな、と思いつつ。

著者

著者

大阪本町制作所デザインスクール代表。講師。株式会社大阪本町制作所 代表取締役。初老のおっさん。