2024.01.22

トレーニング

このサイトは「デザインスクール」のサイトなのですが、「スクール」という定義が曖昧なのかなと思いまして。

うちのスクールやオンラインサロンは「学ぶ」場所になります。

時に「学ぶ」という言葉の曖昧さを感じたりします。

授業を受ける。
話を聞く。

それが「学ぶ」なのか。

授業を受け、話を聞き、実際にそれらを再現できるようになる。

それが「学ぶ」なのか。

私の中での「学ぶ」は間違いなく後者なのですが、社会の中のどれぐらいの割合の方が「学ぶ」をそういったことと定義しているんだろう、と。

私の頭の中はスポーツやってた脳なんだと思います。

スポーツだとそれらの作業をトレーニングっていいます。

たまに本や映像を見て知識を学ぶこともありますが、それらの時間はトレーニング時間の1%にもならないと思います。

トレーニングの方向を示してくれたり、提案してくれたり、正してくれるものであって、本を読んだからパフォーマンスが上がるという即効性のあるものはほぼないのでは?と思います。

なぜか職能のための学びは「実際にやってみる」という過程を省きがちなような気がします。

「頑張っている気になる」
「できるようになった気になる」

一番怖い状態だと思います。

「できない」という状態が改善されてないのであれば、1ミリも前進していないのが実情です。

「私はやっている」と錯覚してしまう分、日常の中での身の回りへの情報への感性が鈍くなり、逆に学習量が減ってしまうのでは?とすら思います。

「学んでいる」は他人に誇るものでもないし、自慢するものでもない。
「私はこれだけ学んでいます」と保険に使うものでもないし、その行為自体がお金になるものでもありません。

「学んで何かを身に付けた」を他人に誇り、自慢するのならまだわかります。(そんなもん自分の中で収めとけよと思いますけど、人それぞれ)

「学び」を「トレーニング」と置き換えれば、定期的にトレーニングを実行できる人の割合はかなり低いと思います。

基本的にペースを決めて、繰り返し行うのが一般的なトレーニングです。

気まぐれでやったりやらなかったり、そんなトレーニングを聞いたことがないです。

社会人向けの学びの場を提供するのが私のお仕事ですが、トレーニグとしての学びを計画的に遂行している人は本当に珍しいです。

「そこまでスクール主導でやらないといけないのかな?」

とも思いますが、一つはそれは多くの皆様にとってストレスになるでしょうし、人から言われないとできないのなら、お仕事としてのデザイナーには向いてないです。

何かができるようになると自分の景色もガラッと変わりますし、周りからの自分の評価もガラッと変わるものだと思います。

その積み重ねが成長であり、自分をどんどん次のステップに導いてくれて、日常をより刺激的で楽しいものにしてくれるものだと思っています。

私から見える景色は「もったいないな…」です。

そういう中で生きていき、「できない」が「できる」に変わることもあんまりなく、「もともとできる」の積み重ねで生きていく人生。

多くの方の人生が本来そういうものであり、ヒトというものはそういう風にできているのかもしれません。

そして、それは肯定されるべきことでしょう。

「成長絶対主義」の中で苦しんでいる人がたくさんいるのも事実でしょう。

という、私から見える景色なお話でした。

なんだかなー。

著者

著者

大阪本町制作所デザインスクール代表。講師。株式会社大阪本町制作所 代表取締役。初老のおっさん。