2023.07.10

人生のゴールド免許

私は何を隠そうゴールド免許保持者です。
以前は免停になり、交差点で交通安全を啓蒙する活動をやらされたりしましたが、すっかりゴールド免許保持者です。

急に運転マナーやルールへの意識が高まったのか。
急にドライビングテクニックが向上したのか。

ということもなく、ただただ

「たまにしか車に乗らなくなった」

のが理由です。

そうです。

「車の運転をしないこと」が「最良のドライバー」になるわけです。

さて。

通知表に毎回「調子に乗りすぎるところがあります」と書かれていた小・中学生時代。

しょっちゅう怒られてました。

学校内では

・怒られる子…ダメな子
・怒られない子…いい子

という評価基準が用いられたような気がします。

「怒られる子」の中にもいくつかタイプがあるんだと思うんですが、私はただひたすらに「他者を笑わせたい」が起因だったかと思います。

それが授業やクラス活動を時に妨害していたのでしょう。

それはダメなことです。

うちの息子だったら蹴飛ばしてもらっても結構です。

「他者を笑わせる」という、自分で勝手に決めた「私が生まれてきた理由」を遂行するために、怒られることを厭わずフザけていたはずです(ただ遊んでただけのような気もしますが、とりあえずそういうことで)。

でも、多くの子は「怒られない」が行動基準になっていたように感じます。

「怒られない、笑われない、はみ出ないようにする」の最善策は「何もしない」になってしまう。

何も行動しなければ、怒られることもなく、内申書に響くこともない。
親を呼ばれることもないし、周りから嫌われることもない。

というような教育を直接的じゃないにしても、され続けて人格形成においてとても大切な時期を多くの方が過ごしてしまう。

そして、大学・専門学校・高校を卒業し、職に就く。

「何もしない」がベストな選択肢であった場所から、急に「何かをする」を求められる。

10代の多感な時期、子どもから大人に切り替わる時の行動指針が「何もしない」だった方々に、

「自分で考えて、行動すること」

を急に求める。

「何もしない」はやる気がない人、もしくは無能の烙印を押される理不尽さ。

私は授業時に「デザインは、考えてつくること」ってお伝えしていますが、それまでの人生の中で「自分で考えて行動する」の訓練(遊びでも何でもいいんですが)がされてない人にとっては相当しんどいだろうなって思います。

私達は起きてても寝てても五感を通じて、ずっと情報収集しっ放しです。

「何かをやろうとする」状態は五感をより鋭くさせるでしょう。

「何もやろうとしない」状態は五感を鈍くさせるのではないでしょうか。

その閉ざされた五感を通じて得た情報で構成された想像力は豊かなものになるとは思えません。

人格が大人になってから変わるのは相当難しいと思います。

余程の危機感か覚悟的な何かがなければ無理じゃないかなって思ってます。

「何かをする」をずっと求めてきた人らの選手権がデザイン業界やクリエイティブ業界って勝手に思ってます。

そういう人間たちと一緒に仕事をしていくんだから、ゴールド免許を求めてきた人生から、免停を何回も食らっても車の運転にチャレンジする人になるしかないと思う夏の日の1993でした。

著者

著者

大阪本町制作所デザインスクール代表。講師。株式会社大阪本町制作所 代表取締役。初老のおっさん。